野呂佳代さんは年内のスケジュールがいっぱいで、ドラマ並みに映画の出演も増えています。今夏から秋には『時には懺悔を』『ルックバック』『踊る大捜査線N.E.Wメトロポリスを駆け抜けろ』などの公開もあり、今や注目度No1でしょう。そんな野呂佳代さんを育てたお母さんとお父さんにフォーカスして、今回は情報を集めてみました。❝出る作品にはずれなし女優❞の原点が垣間見える内容ですので、最後まで読んでくださいね‼
野呂佳代の母親ってどんな人?
野呂佳代さんのお母さんは、野呂久美子さんという名前で専業主婦の方です。
美容師の夫を支え、野呂佳代さんと弟を立派に育て上げられました。
東京都板橋区で家を構えて趣味のガーデニングで、通常数十種類の花々を庭で丁寧にお世話しておられます。
家族にとって常に居心地の良い家庭を作り、おおらかで愛情溢れるお母さんと思われます。
食べる事が大好きな野呂佳代さんの姿から想像すると、お母さんは相当お料理も得意でしょう。
時間のかかる手の込んだ料理も、食いしん坊な野呂佳代さんや弟のために一生懸命作られていたのでなないでしょうか。
ご近所付き合いもきっと良好だったと想像します。
なぜなら、野呂佳代さんのあの親しみやすさと人懐っこい姿を見ると、幼い頃から近隣の人からも愛されていたことでしょう。
その根底にあるのはやはりお母さんの存在です。
東京の住宅街でご近所の方々ともうまく付き合っていけるということは、相当心配りのできるお母さんではないでしょうか。
野呂佳代は母親に何度も救われる
野呂佳代さんは今までの人生でお母さんがいなかったら、どうなっていたことかという経験を何度かされています。
一般的なお母さんの優しいイメージとはかけ離れた気の強さだったり、教育方針であったり…。
遠慮した親子関係でなく、真正面から向き合う姿があったから野呂佳代さんは母親が大好きで尊敬しているのでしょう。
野呂佳代は母親の悲鳴で九死に一生を得る
野呂佳代さんがまだ3歳の頃、東京巣鴨の書店での出来事。
母親が会計をしている間にお店の前で待っていた野呂佳代さんは誘拐されそうになったそうです。
革ジャンにサングラスのスポーツ刈りの男に「お父さん、もうすぐ来るからね」と声を掛けられ、背負っていたリュックごと持ち上げられ連れ去られたという。
会計を終えた出てきた母親が異常を察知し、「佳代‼」と悲鳴に近い声で叫んだ事に男が驚いて、野呂佳代さんの手を放し事なきを得たそうです。
商店街の角を曲がる直前だったので後、数秒違っていたら見失っていたかも知れないと、背筋が寒くなる誘拐未遂事件ですね。
40年近く前の出来事なのに、野呂佳代さんは今もその男の顔をはっきり覚えているらしい。
野呂佳代さんのお母さん、たくましいですよね。
私だったら、とっさに叫ぶ事ができたかなって考えてしまいます。
野呂佳代さんは小さい頃からクリクリの大きな目の本当に可愛い女の子でした。
この事件の後、お母さんは相当気を遣いながら野呂佳代さんと外出したに違いありません。
やはり、母は強し。
母の強気な対応に野呂佳代さんは助けられた結果になり、本当に良かったです。
野呂佳代は母親のお陰でイジメを克服
野呂佳代さんは小学生の頃に習い事をたくさんしていました。
ピアノやスイミング、習字(書道と硬質)、そろばん…。
きっと裕福な家庭で、両親も野呂佳代さんのためにお金をかけて育ててこられました。
それに野呂佳代さん自身、子供の頃から目立つことが好きな女の子だったと発言されています。
クラスでもいち早く流行を取り入れた文房具やおしゃれを楽しんでいたのでしょう。
女子と仲良しこよしでちまちま遊ぶより、ボーイッシュな服装で男子と活発に交流する方が野呂佳代さんの性分に合っていたようです。
そんな野呂佳代さんの存在を疎ましく思う女子たちから嫌がらせをされたり、突然集団で無視してきたり…。
何も悪いことをしたつもりはないのに、陰湿ないじめにあった時期があるそうです。
そんな時、いつも話を聞いてくれたのがお母さんでした。
「もう学校に行きたくない」そう言ってベソをかく娘に
「そんな時は、こういう風に言い返してやりな」
「明日も頑張ってやり返して来な」
と常に野呂佳代さんに対処法を提案する母親だったそうです。
野呂佳代さんは「母は気が強いから」と発言されていますが、それよりも娘の事を本当に信じての助言だったと思います。
この子なら一人でも頑張って乗り越えられる。
理不尽な事をされても負けずに登校できる。
現代の親ならもっと事を荒立てていたような案件でも、野呂佳代のお母さんはこのいじめの出来事を前向きに取り、野呂佳代さんの自立心を育む良い材料にしていたのかも知れないですね。
野呂佳代、母親の一言で吹っ切れる
野呂佳代さんがAKB48に在籍している頃、同期の佐藤夏樹さんと「なのちん」というコンビ名でお笑い担当に秋元康さんから任命されました。
AKB48劇場ではステージの合間に漫才を披露したり、M-1グランプリにも2度出場して2回戦まで通過した経験もあります。
キラキラしたアイドル路線から外れた野呂佳代さんは、いつの間にかお笑い担当にならされた事に愚痴る日々。
そんな野呂佳代さんにお母さんが放ったのが
「あんたいつまで言ってるの‼ どうしていつまでもアイドル気分なの⁈」
「人と違うことも一生懸命にやったらいいじゃない」
「笑ってもらってるうちが華なんだよ」
だったそうです。
なんと、素晴らしいお母さんじゃないですか!!
秋元康さんに娘を預けて、アイドルよりもお笑いに向いているのをよくぞ見抜いくれたとお母さんが感じていたかどうかはわかりませんが、甘えた娘に喝を入れたのでしょう。
秋元康さんもネタ合わせに必死になってくれたり、両親もお笑い担当の娘を応援してくれたり…。
自分だけが気づけていなかったと野呂佳代さんは反省。
この一件があってから、お笑い担当もバラエティー番組も精一杯努力された事に間違いないでしょう。
野呂佳代の父親ってどんな人
野呂佳代さんの父親は現在70代前半ですが、見た目は若々しく時任三郎さんやB’Zの稲葉浩志さんに似ていると噂されるくらいのイケメンのお父さんです。
GUの父の日キャンペーンでインスタ登場した時は「若い‼ カッコイイ!」評判になりました。
埼玉県内の病院内で長年美容院を経営されている方で、美容師としての技術力も信頼性も高いと思われます。
青森県出身なのでおそらく、東京に出て見習いからのスタートで美容師と理容師の両方の免許を取得されています。
東北訛りがあるので接客など、若い頃は苦労されることも多かったと想像します。
野呂佳代さんが生まれたのが、30歳前後なので家族を養うために一生懸命に働いてこられたことでしょう。
先述のように、野呂佳代さんの母親は専業主婦。
野呂佳代さんの幼少期には習い事に色々通わせていたのを見ると、父親の安定した収入が必要だったことでしょう。
その上、当時ファミコンを家族で楽しんでいたようでお家にはソフトが山ほどあったらしいです。
お父さんも子育てに協力的だったようで、昔話などの読み聞かせも父流の面白話に変化させるなど、笑いの絶えない仲良し家族だったようです。
休みの日には、父の田舎の青森へ帰ってねぶた祭を見に行ったり、家族で旅行したりという思い出が多い野呂佳代さん。
絵にかいたような優しいマイホームパパの存在が大きかったことと思われます。
野呂佳代、父親が理想の男性⁈
2020年のコロナ禍でも野呂佳代さんの父親は病院内にある美容室の営業を続けていたそうです。
思い出してください、新型コロナウィルスが流行していた頃の病院の事。
なるべく病院に近づかないように促されていた悪夢のような日々。
医療従事者の方々は懸命に、世間から隔離されたように働いていたのを思い出します。
そんな中、野呂佳代さんのお父さんは来客が見込めない時でも毎日お店をオープンしています。
病院内の入院患者や医療従事者が髪を切りたい時にいつでも来れるようにと。
感染のリスクなど、デメリットが大きい時でもプロとしての心意気が間違いなく動いたのでしょう。
周りの人への気配りやプロとしての仕事の責任感など、野呂佳代さんのお父さんを見ていると野呂佳代さんの旦那さんとも似ている気がします。
どちらも優しくて、人から信頼される仕事ぶりです。
もしかして、野呂佳代さんが結婚相手を決めたとき、お父さんの面影を今の旦那さんに投影していたのかも知れないですね。
野呂佳代は母も父も大好き‼
野呂佳代さんは現在、女優としての仕事が増えていく中で目指しているのは「どこにでもいる普通の人」と発言されています。
普通の人って考えてみれば一番簡単そうで一番難しい。
きっと野呂佳代さんは幼い頃から、家庭内で色んな事を話し合いながら、家族同士の思いやりを持ってバランスよく成長されたと感じます。
野呂佳代さんは厳しいお母さんと言うけれど、優しさの裏返しで自立した人を育てるためだったでしょう。
優しいお父さんと言うけれど、家族のために自分に厳しく生きてこられたでしょう。
両親の愛情を充分受け取った野呂佳代さん。
今となっては、お母さんの事もお父さんの事も愛おしくて仕方ない様子です。
両親や弟家族、自分たち夫婦と一緒に旅行へ行ったり、プレゼントしたりと親孝行をしておられます。
大病で入院した母親の姿を見た時改めて、両親のありがたみが身に染みたとも話されています。
でも一番の親孝行は野呂佳代さんが息の長い女優として、まだまだ活躍されることでしょう。
いかがでしたか。野呂佳代さんのご両親からの愛情、素敵ですよね。
これからも、ご両親同様、野呂佳代さんの活躍を楽しみましょう。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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