独自のスタイルで世の中にお笑いを届けるパイオニアのクレイジーココさん。女ピン芸人だけにとどまらず、エンターテイナーとして世界でも活躍できると感じている人も多いのではないでしょうか。そんなクレイジーココさんはどんな両親の下で成長してきたのか、肌身離さず一緒に暮らす『うさこ』について綴っていきます。素敵な話が満載ですので最後まで読んでくださいね。
クレイジーココは父親から徳をもらう
クレイジーココさんは1986年9月6日大阪生まれの現在40歳です。
本名は井上徳子(のりこ)さんで、「徳のある子どもに育って欲しい」という願いから、父親が命名したそうです。
その父親の願いに相応しく、明るく、誰からも好かれる人気者に成長していきます。
ところがクレイジーココさんが2歳の時に、父親はALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病にかかり、寝たきり状態で生きていくことになります。
自宅介護で生活していた期間も何年かあったと思われますので、子どもの頃から母親と協力しながらお父さんのお世話をしていたのでしょう。
身体を動かすことができなくても、意識や知能、五感は正常に働く病気らしいので家族とのコミュニケーションも50音表などで工夫して対話できていたのではないでしょうか。
ベッドの上にいながらも、お父さんはいつもクレイジーココさんの日々の成長を見守り、喜んでいたと思います。
クレイジーココさんも学校での出来事や友達の話など、明るく生き生きとお父さんに話していたことでしょう。
ところがクレイジーココさん14歳の時に父親は永眠されます。
幼少の頃から支えた父の闘病生活、思春期に直面した親の死。
父親のことはあまり多く語られていないですが、今のクレイジーココさんの生き方に大きく影響した出来事だと感じます。
クレイジーココ、母親の生き方がカッコイイ
クレイジーココは母が不妊の末生まれた命
クレイジーココさんの両親は結婚して数年は子宝に恵まれずにいたそうです。
母親は不妊に悩みながらも、優先順位はいつもラウンジの仕事や自分自身。
若くして大阪の北新地にラウンジ経営ができるなんて、限られた一握りの女性しか叶わない夢です。
ようやく第一子(クレイジーココさん)を授かったのは母親が37歳だったので、当時としてはかなりの高齢出産と言われたはずです。
30代後半で初めて手にした自分の子ども…。
命を懸けてこの子を守りたいという気持ちと同時に、「この子がいてたら他には何もいらん」とクレイジーココさんの母親は価値観がガラリと変わったそうです。
ずっとずっと愛情深い夫婦が不妊の末に産まれた我が子なので、大切にのびのびと育てる事になったのでしょう。
ラウンジの商売と家事に加えての育児なので、クレイジーココさんのお母さんは相当忙しい毎日だったと思いますが、自分よりも大切な命を授かり幸せを実感していたに違いありません。
クレイジーココの母は北新地でラウンジ経営40年
クレイジーココさんが生まれる前からラウンジを経営していたお母さん。
ココさんが生まれた1986年はバブル景気の始まった年で大阪の北新地は大いににぎわい、お母さんのお店もとても繁盛していたはずです。
子育てや家事、お父さんの介護にラウンジ経営と休日には常連さんのゴルフ接待…。
クレイジーココさんのお母さんはいつ睡眠を取っていたのか、いつ身体を休めていたのかと想像がつかないくらい必死に生きていたと思います。
それでもきっとラウンジの仕事もお家の事も大切に思っていたし、好きだったのでしょうね。
なにせ、クレイジーココさんのサービス精神を見ればお母さんのお人柄が想像できます。
CA時代のそつのない気配りやおもてなしの心は、絶対に母から受け継いだ大切な遺伝子が働いていますよね。
バブル崩壊やリーマンショック後に大阪の北新地は「閑古鳥が鳴いている」お店も多かったと聞きました。
それでも、時代の波に飲み込まれず、そして自身の病と闘いながら40年間もラウンジを守って来られたクレイジーココさんの母親って格好良過ぎますよね。
クレイジーココ、母への恩返し
クレイジーココさんの母親はこれまでに、脳腫瘍や胃がんなどの大病をことごとく克服しています。
若くから忙しくストレスの多い生き方をされていたのは間違いないですが、何よりもの救いはクレイジーココさんの存在でした。
母親の事を何よりも大切に思い、母親にもらった愛情に応えようと…。
お母さんは白血病の闘病の末、2023年12月に74歳で天国へと旅立たれました。
母親と海外旅行した経験も多く、先行投資してでも母親との思い出を作れた事が何よりも良かったと語っています。
クレイジーココさんが人生で悩んだ時は必ず母親に相談するくらい尊敬する存在でした。
特にサラリーマンからお笑い芸人に転身するか悩んでいたココさんに対して母親は「やってみたらエエやん、それであかんかったらやめたらエエやん。人生一度きりやし」とあっさりと背中を押してくれたそうです。
母親の最後の闘病中に女ピン芸人になったクレイジーココさんですが、母に元気になってもらうために舞台でなくテレビやSNSを選んで仕事をしたと発言しています。
「私の人生で一番の幸せは、あなたの一人娘として生まれてきたこと」
クレイジーココさんがお母さんの訃報と共にインスタにアップしたコメントです。
こうして母娘の二人三脚の人生物語でしたが、母は天国から活躍を見守り続ける事でしょう、お父さんと一緒に。

クレイジーココのうさこは何者?
YouTubeやインスタなどで度々出てくるウサギのぬいぐるみをご存知でしょうか。
クレイジーココさんがそれはそれは大切にしている『うさこ』。
ココさんが生まれた時、お母さんが経営していたラウンジのお客様から出産祝いにもらったらしいのです。
兄妹のいないココさんの双子の妹のような存在ですかね。
想像してみてください。
父親は寝たきりで、母親は夜の仕事…。
寂しさを埋めるために大切にしていた『うさこ』はクレイジーココさんが大人になって、CA時代に様々に国へフライトしても必ず連れて行っています。
両親ともに他界された今、『うさこ』を抱きしめると少女だった自分に戻れるのかも知れないですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
いかがでしたか、クレイジーココさんの違った側面。
人を笑わせる役割の影には哀しみもにじんでいるようですね。
これからもクレイジーココさんから目を離さずに、一緒に応援していきましょう。
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