CAネタや変顔で人気沸騰したクレイジーココさん。将来はアメリカのコメディー映画にも出演したいそうですよ。『THE W』がきっかけで35歳で女ピン芸人へ転身しますが、それまでにはCAを始め、様々な仕事に転職。多くの寄り道の中でどんなおもろい経験をしているのか紹介していきますので、最後まで読んでくださいね。
クレイジーココ、CA転職理由がおもろい
クレイジーココ、新卒入社がブラック企業
クレイジーココさんは1986年9月6日大阪生まれの40歳。
大学を休学して10か月間オーストラリアへ語学留学しているので、大学は5年かかってを卒業。
就活中は特別やりたい事が見つからず、「普通に9時から5時働くOLでもいいかな」と企業廻りを続けます。
ただ一つ、留学して取得した英語力を武器にした仕事内容であることに拘ったクレイジーココさん。
タオル商社の最終面接の際「商品部の英語圏で配属してもらえる」と聞いていたのに、入社してみるとなんと中国担当。
しかも、いくら残業しても残業代はなし、有給休暇を取得する同僚なんていない。
現在なら働き方改革により、ブラック企業が減ってきましたが、2010年代の関西の老舗タオル商社なら新入社員の人権なんて完全に埋もれていたことでしょう。
新卒のクレイジーココさんにはまだ、社会の実情なんて見えていなかったのですね。
クレイジーココさんは入社当日から「ここやないわぁ」と感じたけれど、”石の上にも3年”の精神ですぐには辞めずに計画的な転職を考えていきます。
入社して2年半が経った頃から水面下で転職の準備を始め、次こそ英語が使える商社を探します。
クレイジーココ、CAに転職したホントの理由は⁈
「こんな会社にずっといてたら自分が腐ってしまうわ」と思いながら商社で働いていた時に、留学先で友達になった日本人から連絡が来て、会う約束をします。
外資系のCAの仕事をしている友人は、様々な国籍のCA達とキラキラと輝いた制服姿でリムジンバスから降りてきます。
学生時代と違い、まったくオーラの消えてしまったクレイジーココさんを見た友人は同じ会社のCAの試験の情報をくれます。
迷わず試験に臨むクレイジーココさん。
試験には落ちてしまいますが、そこから負けず嫌いの根性でCAの予備校に通い、2度目のチャレンジで見事合格します。
ようやく、ブラック企業ともおさらばして『エミレーツ航空』に就職、本社のあるドバイへ移住します。
CAとして働きますが、その待遇の良さにびっくりの連続。
都心のタワマンレベルの寮は無料で住めるし、フライト中は3度の飲食代金すべて支給されるし、プライベートでの航空券は1割程度の支払いのみで利用できるし…。
高収入な上に支出は最小限なので貯金が増えて仕方なかったというクレイジーココさん。
語学留学やCAの予備校の出費も十分元取れてまっせ‼‼
って大阪の人からは言われているはずですね。
世界中を旅しながら仕事をする、まさにクレイジーココさんの生きるスタイルにハマった転職になりましたよね。
クレイジーココ、転職続きで天職の芸人へ
クレイジーココ、母親が心配で帰国
CAとして世界中を飛び回る仕事が生きがいになっていたクレイジーココさんですが、母親が大病を患ったので4年半勤めたエミレーツ航空を退職し帰国します。
その当時女性が35歳を過ぎると転職しづらいとも言われていて、クレイジーココさんも決心したもう一つの理由とも発言しています。
次に選んだ先は東京で1人暮らしをしながら、就職した英語学習のコンサル会社。
CA時代と比べて年収が300万円程はダウンしたうえ、家賃や生活費などの出費で成り立たず、半年で辞めてしまいます。
クレイジーココさんは33歳になっていましたが今度は美容商材の海外営業職に就き、堪能な英語を使いながら奮起しましたが、コロナ禍でもあり入社半年で会社は突如倒産します。
就職活動もコロナ禍により、前に進めなくなっていく中で職業訓練へ通います。
クレイジーココさんが苦手としていたパソコンのスキルを上げるために、エクセルとパワーポイントの基礎コースで勉強。
34歳になっていたクレイジーココさんは、初歩のパソコンと英語のスキルを武器に就職したのが建設現場などで働く外国人の支援を行う会社でした。
働く同僚も支援する労働者も多国籍。
母国語が英語でない人たちの英会話は本当に難しいと思います。
でもCA時代に培ったワールドワイドな生きた英語が、本当に役立つ仕事になった事でしょう。
大阪に住む母親の様子を伺いながら、転職を続ける日々。
クレイジーココさんにとって本当に気苦労の多い時期だったのをよく辛抱したと共感したいですね。
クレイジーココ、コロナのお陰で…
外国人支援の会社はクレイジーココさんの人間力にも合致していて、同僚とも楽しく働けていたのですが、入社3か月目でコロナウィルスに感染してしまいます。
重症病棟に2週間の入院期間、自分の死について考えるようになったそうです。
なぜなら、コロナで亡くなった知り合いがいて、いくら若くてもいくら元気でも諸行無常なんだと。
「もし明日死ぬとして、今日もこの仕事をやるのか?」
病床のクレイジーココさんは自分に問うてみて、子どもの頃からの人生を振り返ります。
「今の仕事やない。人を笑わせるエンターテイナーやったやん」
それに気づいたクレイジーココさんはいつもの行動力で近道を研究、分析していきます。
「エンターテイナー 女 なり方」でグーグル検索したら『THE W』の募集記事が出てきて、チャレンジャーの方向に進みます。
動画の見せ方や受けるネタの構築、ライバルチェックなどありとあらゆる準備をして本番に挑み準決勝まで進みます。
優勝こそできなかったのですが、クレイジーココさんの当初の狙い通り、吉本興業にスカウトされます。
こうして、女ピン芸人になれたわけですが子どもの頃に「大きなったらヨシモト行や」と言われていた原点に立つことができたクレイジーココさん。
転職を繰り返し回り道をしてきたように思いますが、どの経験も決して無駄ではなく、必要なサクセスストーリーだったのでしょう。
もちろんコロナに感染したことも結果的に、絶対必要な時間だったという事です。
こうしてお笑いの世界に飛び込みますが、YouTubeやSNSを主流にようやく、天職の女芸人として独自の活動を続けているクレイジーココさん。
学生時代から「人と同じでなくてもいい」という信念が社会人になってからも変わらずに軌跡となったわけですね。
これからもクレイジーココさんのおもろい生き方を一緒に応援していきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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